フォレスト・ミッションBLOG

林業の産業としての自立、そして林業に従事する人たちが誇りを持てるように、私たちは、自らが信じる、森林・林業のあるべき姿を、林業関係者の皆様と一緒に創造していきます。

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軸足を明確にすることの重要性

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 蓼科に活動拠点を全面的に移転して、この秋で丸6年になる。それまでは、どうしても、仕事の情報や予算、人脈が集中する東京に拠点を設置して、アナログ的な営業や情報収集をすることに、こだわっていた。そこから離れて、東京からかなり離れた、信州・蓼科という「僻地」に拠点を定めることでの、リスクを相当に感じ、私のような職種にとっては、まさに「賭けに出た」きらいもあった。6年前のその時点では、ウイズコロナやアフターコロナを予見するなどあり得ないことだった。

 森林・林業に専門化した経営コンサルタントとしての生命線は、この業界の俯瞰的な状況把握はもちろん、林業事業体の経営支援や人材育成等についての専門知識・ノウハウ、森林づくりや施業システム、木材販売などの専門家との人的ネットワーク、そして何といっても、林業関係者からの「信」が肝になる。2003年に、林業事業体の経営支援や人材育成等に着手して以来、徒手空拳だった時期も含めて、私が意識的に、あるいは無意識に心の底に置き続けてきた価値観=行動基準は、その「信」だったのではないかと、今にして思うところだ。

 それから、もうひとつ、これは、林業経営コンサルタントとしての譲れない部分、究極の事業領域ともいえるのだが、「自らの軸足をどこに置くか」という命題である。私は、2007年7月19日に、株式会社フォレスト・ミッションを設立し、そこから、林業においても「山側」、狭義には土場よりも川上における、経営支援に専門化した。これが軸足の所以である。そもそも、フォレスト・ミッション=森林の使命、森林への使命感といった意味合いの社名なので、ドメイン(事業領域)は、おのずと林業という業種に特定される。それは、私自身のビジネスライフにおける生き方やある意味での覚悟、行動基準等の発露を表現するものだったのだ。

 今日も、ある県の公的支援機関の人と、オンラインで打ち合わせがある。ある林業事業体のサポートのために、拠点を置いている長野県から遠く離れた地域の、林業以外の支援機関からのオファーである。私のことを探索して、「私に力を借りたい」と声をかけてくれたことに、これまで軸足を定めて、ブレずに営々とやってきたことが、しかるべき人にきちんと理解していただいているのだと嬉しい気持ちになった。支援事業の規模や報酬の問題ではなく、「あなたにやって欲しい」といわれることが、この職業に就く者にとっての喜びなのだ。

今朝の自宅前の借景(カラマツ林)

 思い起こせば、独立中小企業診断士としての活動を始めた1999年から6年余り、私は経営コンサルタントとしての仕事を得ようと、大阪や和歌山県、兵庫県の公的支援機関に専門家登録し、いろいろとプレゼンもしたが、最初の3年間ほどは、支援実績のない新人診断士には、全くオファーがなかった。この世界は、実績のない者には、いくら実力があっても、それは潜在的であり、顕在化しない限り、まともな仕事は公的機関であっても出してくれないものだ。

 森林・林業に専門化してから、私の活動は全国規模になり、林業界内では、知名度も浸透していったので、そういった公的支援機関の案件からは、おのずと遠ざかることになった。しかし、私自身の原点は、現場に足を運び、経営者や現場の人と一緒に、最適解を模索し、ともに構築していく「泥臭い」経営支援にある。そういう行動基準でやってきたからこそ、現場で奮闘する実務者にも、経営者にも専門機関からも、相応の評価をいただき、こうして、今もこの業界で活動できているのだと思っている。

 爽やかな今日の天候のように、気持ちを大きく解き放って、前にも言ったように「肩の力を抜き」目の前の支援案件に、1つ1つ向き合っていこうと、改めて実感しているところだ。今回の案件についても、自分の原点に返り、経営コンサルタントとして22年間積み重ねてきたノウハウを駆使して、先方に対して有益な支援・助言をしてきたいと思っているところだ。

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