今日、末期がんで死んだ、東アジア反日武装戦線の桐島聡と思しき男は、報道の限りだが、本人に間違いないだろう。神奈川県藤沢市の工務店に40年くらい住み込みで働いていたとのことだ。ということは、10年くらい逃亡した後、そこで何食わぬ顔をして仕事をして生活していたことになる。その気の遠くなるような年月を、どんな気持ちで過ごしていたのか、正直、想像もできない。テロリスト集団の中でも下っ端だったので、支援者もいなかったのか、本人が単独で潜伏することを選択したのか、いずれにせよ、哀れな死に様としかいいようがない。
東アジア反日武装戦線の首謀者たちは、すべからく「団塊の世代」である。団塊の世代とは、通常、昭和22年(1947年)~24年(1949年)生まれと定義されるが、戦後世代ということで、昭和20年(1945年)生まれから昭和25年(1950)生まれくらいまでと考えていいと思っている。別名「全共闘世代」と呼ばれ、多くの団塊世代は、大学卒業後は、学生運動の残滓を引き摺りつつ、あるいは、学生運動の経歴を隠して、ビジネスマンとして、我が国の高度成長期の恩恵を享受し、おまけに定年後も年金を満額もらって、「逃げ切った」と喜んでいる世代である。
このポスターの上段左側から、まず、坂東國男(1947年生まれ)、京都大学農学部中退で連合赤軍メンバー、1972年に「あさま山荘事件」を起こした男で、その際、逮捕されたが、1975年の日本赤軍による「クアラルンプール事件」で出獄・出国し、いまだに逃亡中である。その隣は、佐々木則夫(1948年生まれ)で、小樽出身で、東アジア反日武装戦線のリーダー格の大道寺将司(獄中で死亡)に誘われて、テロリストになり、一旦逮捕されるが、この男もクアラルンプール事件で出国し逃亡中。その隣は、松田久(1948年生まれ)、茨城大学中退で、赤軍派のメンバーとして、横浜銀行への強盗で逮捕されるが、やはりクアラルンプール事件で出国した。その隣は、奥平純三(1949年生まれ)、京都大学工学部卒業で、日本赤軍メンバー、クアラルンプール事件に関与し、ヨルダンで逮捕されるが、ダッカ事件で出国した。
それから、下段の左側、大道寺あや子(1948年生まれ)北海道出身で、星薬科大学卒業の薬剤師である。夫の大道寺将司とともに、東アジア反日武装戦線のこの女が、薬局から爆弾の材料を盗み出した。連続企業爆破事件で逮捕、投獄されるが、1977年のダッカ事件で出国した。その隣は、仁平映(1946年生まれ)は、単なる殺人犯だが、ダッカ事件で、日本赤軍から釈放を指名され出国した。その隣は、岡本公三(1947年生まれ)、鹿児島大学農学部中退、赤軍派から日本赤軍に加入し、1972年、テルアビブ空港乱射事件を起こし逮捕されるが、1985年にイスラエルの捕虜交換でレバノンに出国した。(以上 ウキペディア参照)
まさに、団塊世代のオンパレードである。これは、単なる偶然なのだろうか。あの時代、学生運動の熱に狂奔した若者のさらに跳ね上がった連中が、連合赤軍や日本赤軍である。同世代の学生達も、彼らの行動にシンパシーを持っていたことは想像に難くない。多くの団塊世代は、大学卒業後、あんなに敵対視していた大企業に入り、組織人となって、またその多くは定年まで勤め上げた。片や、ポスターに載っている連中のように、いまだに国際手配されている団塊世代もいる。彼らのことを、今、企業OBの団塊世代は、どう思っているのだろうか。「俺達には関係のない人間」と言い切れるのだろうか。私は団塊の世代ではないが、そんなに簡単に割り切れるものではないだろうと思っている。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。