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郷愁の東京・日本橋にて

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 昨日、茅野駅から特急あずさ号に乗ろうとしたら、何と1時間半遅れということがわかり、少し焦ったのだが、ちょうど遅れてきたあずさ号に飛び乗ることができて、東京には予定よりも早めに到着した。神田駅で降りて、日本橋に近いホテルまで歩き、チェックインしてから、久しぶりに日本橋界隈を散策した。コロナ禍でこの3年間は、東京に来る機会がかなり減ったので、日本橋は遠いところになっていた。

日本橋三越の風景(1月26日撮影)

 1999年に中小企業診断士の資格を取得して、大阪で経営コンサルタントとしての活動を始めた私は、2003年に拠点を神戸に移し、2009年に東京・日本橋に事務所を移転した。東京に拠点を置いて活動することは、当初からの目標だった。それから6年間、日本橋が私の活動の中心となり、この事務所にもたくさんの人が出入りして、私はここで濃密な時間を過ごした。

 その事務所から歩いて5分ほどのところにある日本橋三越へは、通勤やランチなどの途中、しょっちゅう立ち寄った。風格のある内装が好きで、ただ、デパートの中を歩くだけで、気持ちが落ち着くという感じだった。幼い頃、デパート(百貨店)は、自分にとって「憧れの存在」だったこともある。その日本橋三越の地下食品売場で、妻の母用に、惣菜などを少し購入し、その足で、しばらく日本橋界隈を散策した。ここに来た時は、50歳代の初めで、私は働き盛りのビジネスマンだった。仕事が好きで、その仕事に打ち込んでいる自分も好きだった。

 この街には、限りない郷愁がある。でも、ここに戻ってきたいとは思わない。今の信州・蓼科での暮らしが気に入っているということもあるが、あの時代だから、あの時の自分だから、日本橋での時間が輝いていたのだと思う。時間は決して後ろには進まないが、ここに来ると、一瞬、時間が止まり、ここにいた頃のことをあれこれ思い出す。「日本橋OBか」とつぶやきながら、ちょっとだけいい気分になってホテルに戻った。

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