一昨日、蓼科から車で7時間かかって、和歌山県・那智勝浦町の実家に移動した。1月以来、約半年ぶりの実家滞在になる。父は93歳、母は91歳になり、まだ、何とか自分たちで生活をしているが、とにかく高齢なので、時々様子をみにきている。一応、実家の一室を自分用の仕事部屋にして、資料を作成したり、リモートワークに対応したりしながら、高校まで過ごした実家に滞在する。親孝行は、親が生きている間しかできない。それは、親のためというよりは、自分自身のためといった方が正確かもしれない。
一夜明けた昨日は、実家から車で20分ほどのところにある、「日本ダイヤモンドゴルフクラブ」というゴルフ場に行った。ここは、かつて「勝浦ゴルフクラブ」いうパブリックのコースで、いわゆる山岳コース、それも、馬の背のようなホールばかりで、都会から来た人は、たいてい1ラウンドに10個はボールを失うという有名なコースである。実際、私も半年ぶりにラウンドしてOBなどで5個なくした。
前にも書いたが、私は中学1年生の時、ギターを買いたいがために、このゴルフ場でキャディのアルバイトをした。日曜日に行き、1バッグ担いで1ラウンドキャディをして、日当が1,500円だった。51年前の話だから、今でいうと5,000円くらいのものだろうか。1バッグといっても、10キロくらいはあるキャディバッグを担いで、6キロ近い距離を全て歩くのだから、結構、きつい労働だった。2バッグ担ぐと倍の3,000円になり、夏場などは、本当に「死にそうに」なったが、ギターを買うためと思い、必死でやったという記憶がある。
今は、乗用カートでプレーをするので、山岳コースといえども楽である。それに、キャディなどすでにおらず、全てセルフプレーである。このコースをプレーしつつ、いつも、あの頃のことを思い出す。結局、半年ほど通って、2万円貯めて、通信販売で1万5,000円の、それこそ、どこのメーカーかわからないような安物のフォークギターを買った。そのギターを大事に抱えて、吉田拓郎やかぐや姫などの曲を練習したのだ。
安物のギターではあったが、自分で稼いだお金で買ったということもあり、毎日のように弾いていた。それから、50年の月日が流れて、63歳になった今も、まだ、ギターを抱えては、好きな曲やオリジナルの曲を弾いて歌っている。間もなく、you tubeチャンネルで、オリジナルの曲を中心に発信していく準備もしている。ゴルフ場でのアルバイトをしていなかったら、ギターを手に取ることもなく、勉強中心の中学・高校時代を過ごしただろうし、その後の人生の展開も違ったものになったかもしれない。そもそも、ギターなどにうつつを抜かすような中学生や高校生は「不良生徒」の範疇だと目された時代である。
ギターの弾き語り歴は51年になる。長くやればやるほど、味が出てくることを実感しているところだ。「歌は人生経験で唄うもの」と誰かが言ったが、まさにその通りだと思う。いろいろな喜怒哀楽の経験を積む方が、同じ歌を唄っても、相手に対しての通じ方が違うのだろう。私の弾き語りは、どうだろうか。
you tubeチャンネル での発信とその反応が楽しみなところである。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。