日曜日から、東北に入り、宮城県内での活動を続けている。今日は、移動日で、ホテルの部屋で原稿を書いたり、本を読んで過ごしたりしている。一昨日、7月8日は、安倍晋三元首相の命日だった。事件が起こった11時31分頃、ちょうど、訪問先で面談中だったが、心の中で、安倍元首相の冥福を祈った。この事件は、我が国の法治国家としての根幹が問われることになり、私自身は、この国は、すでにまともな主権国家ではないとまで思っている。警察当局は、事件の深層を隠蔽し、メディアはそれを追及しようともしない。「国民の知る権利」を著しく毀損しているとしかいいようがない。
来月、私は67歳になり安倍さんが暗殺された時と同じ年齢になる。彼は、昭和29年9月21日生まれで、私よりも3歳年長、前にも書いたが、安倍さんが若手政治家のリーダーとして頭角を現してきた、2000年頃から、彼のことを常に意識するようになった。それから20年余り、近鉄大和西大寺北口で暗殺されるまで、安倍さんは、山あり谷ありの政治家としての人生を送り、第二次安倍政権では、憲政史上最長の在任期間となって、政治改革・経済改革などを推し進めた。
私は、その活躍を眩しくみながら、自分なりにできることを、営々とやって、小さな動きではあるが、自分なりの社会貢献というものを意識しながら、活動を続けてきたという自負がある。「安倍さんがいたから、頑張れた」とまではいわないが、その存在、その背中を遠くからみながら、自分自身も、やれること、やるべきこと、やらなければならないことに取り組んできたつもりだ。
これからは、安倍さんの年齢を越えて、そして、彼のいないこの国で、自分の人生を前に進んでいかなければならない。この9月の総裁選で、三たび安倍首相の熟達した勇姿を待望していた自分にとっては、先だっての都知事選もほどなくやってくる衆議院選挙も、さらには、総裁選そのものにも、興味を失いかけている。改めて、安倍晋三という存在の大きさを実感している自分がいる。もちろん、安倍政権下における外交も含めた諸政策を全肯定することはなく、いろいろな局面で、戦略的なところと戦術的なところに齟齬をきたしたり、政策間での二律背反的なこともあったと考えているし、そこに葛藤が常在していたことも容易に想像できる。ただ、この国を良くしよう、強くしよう、国民の生活を豊かにしようといった姿勢で、奮闘したことは、永遠に顕彰していかなければならないことだろう。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。