フォレスト・ミッションBLOG

林業の産業としての自立、そして林業に従事する人たちが誇りを持てるように、私たちは、自らが信じる、森林・林業のあるべき姿を、林業関係者の皆様と一緒に創造していきます。

未分類

50年間ずっとみてきた男

投稿日:

桐島聡の手配写真(警視庁)

 1970年代半ばの連続企業爆破事件を起こした、「東アジア反日武装戦線」の実行犯として、指名手配されていた、桐島聡とみられる人物が、神奈川県の病院入院中に本人だと名乗り出て、今日、末期がんで死亡した。桐島聡は、1954年1月生まれで、私よりも4歳年長、ほぼ同世代の人間である。彼は、広島県尾道生まれ、高校卒業後、明治学院大学に進学し、そこで、のちの東アジア反日武装戦線を結成するメンバー達と出会い、テロリストになった。

 メンバーのうち、桐島以外は、一網打尽で逮捕されたが、1977年に日本赤軍が起こしたダッカ事件で、3人が出獄し、大道寺あや子と佐々木則夫は、いまだに国際手配中である。桐島聡は、メンバーの中では、最も若く、50年近く逃亡生活を続けている。末期がんで今日死んだ男が、桐島だとしたら(その可能性は限りなく高いが)、半世紀の時を経て、この事件がようやく一応の終結をみることになる。

 1974年8月30日の三菱重工ビル爆破事件は、8名が死亡、376名が重軽傷を負うという大事件で、社会を震撼させた。1971年のあさま山荘事件を節目に、学生運動がほぼ終息していた時期に起こったテロ事件は、学生運動とは別種の怨念にも似た動機を感じさせ、当時、高校2年生だった私は、「自分よりも少し年上の若い人たちが、何故、こういう狂気じみたことをしでかすのだろう」と、テレビや新聞をみて思ったものだ。

 京都での学生時代、銭湯に行くと、指名手配犯のポスターが入口付近に貼っていて、桐島聡の顔がいつも目に入った。長髪で特徴のある黒縁の眼鏡をかけて、笑っている顔だった。4歳違いの同世代の私には、どうみても凶悪犯にはみえなかった。先週、近所の郵便局に行った際にも、桐島の写真が目に留まり、「この人は、今頃、どこで何をしているのだろうか」「満70歳だから、老人の顔になっているのだろうな」と思ったばかりだった。

 報道によると、桐島聡と名乗った男は、末期がんで、「最後は本名で死にたかった」と語ったということだ。私と4歳しか違わないほぼ同世代の人間ということもあって、また、その顔写真を50年間、あちこちで見てきたこともあり、彼は、いつも気になる存在だった。テロリストになっていなかったら、学生運動に走った当時の大多数の学生と同じように、その残滓を引き摺りつつも、どこかの企業に就職し、定年を迎え、普通の老後を迎えていたかもしれない。 今日、死んだのが桐島聡だったとして、彼は、その間際に、世にも愚劣な過ちを犯したことを悔いて死んでいったのだろうかと、その「人の好さそうな」顔写真をみて、ふと思った。

-未分類

関連記事

出張明け寒中ゴルフを愉しむ

 昨日、鳥取市内から車で8時間かけて戻ってきた。月曜日から6日間の出張になり、帰り着くとさすがに疲れがどっと来たのだが、早めに就寝し、深い睡眠をとると起床時にはその疲れも殆どなくなっていた。今日は、隣 …

スキーはできないけれど

 私が住む、東急リゾートタウン蓼科には、スキー場があって、例年この時季(金・土・日・休日に営業)は、家族連れやカップルなどで賑わっている。こぢんまりしたスキー場だが、別荘地内にあるということで、立地条 …

no image

厳しい冬もあと2週間ほどか

 昨日、東京での案件が終わったのが、午後5時前で、午後6時新宿発のあずさ号に乗り帰路についた。茅野駅を降りると、結構、吹雪となっていて、駐車場に置いていた車にもかなりの雪が積もっていた。その雪を払い、 …

休暇中の風景、静ヒルズにて…

常陸大宮・静ヒルズの夕暮れ前のホテルからの風景(3月16日)  昨日は、蓼科から中央道・圏央道・常磐道経由で、4時間半かかって静ヒルズに着いた。距離にして340キロ、渋滞もなく順調に車は走り、午後3時 …

事実上の「山守」としての活動

 昨日は、天女山の長嶋部長と一緒に、私が住む東急リゾートタウン蓼科内での、森林整備予定地を確認した。生憎の雪で、大枠の方向性を見定める程度の確認になったが、この真冬の最低気温氷点下12度の中、現場に行 …