明日、奈良での案件があり、今日は、京都駅前に前泊ということで、名古屋から新幹線で京都に着き、そのまま、近鉄京都線に乗り継ぎ、特急で30分のところにある、大和西大寺駅に移動した。北口で降りて、安倍元首相が狙撃された現場に降り立った。テレビやyou tubeでさんざんみた暗殺現場は、1年4ヶ月経って、すっかりとその風景が変わっていた。バスのローターリーになり、安倍元首相のことを思い起こすような花壇も記念碑もない。
私は、安倍さんが撃たれたと思われる場所に近づき、そこで、暫く黙祷を捧げた。こんなところで、銃撃され暗殺されるなど、本当に無念だったに違いない。この現場には、あの事件を想起させるようなものは何もなく、道行く人たちは、何事もなかったかのように、足早に通り過ぎていく。あれから、まだ1年と4ヶ月しか経っていないのだ。私などは、いまだに、安倍元首相がこの世にいないということを信じられずにいる。
この事件の真相は、いまだに闇の中であり、犯人とされる山上某の公判さえ、まだ始まっていない。山上被告の単独犯行が、立証されない以上、公判が維持できないということもあるのだろうとは思うが、メディアも含めて、ことの重大さを鑑みると、「国民の知る権利」をあまりに愚弄する現象と言わざるを得ないし、法治国家としての権威を自ら失墜させるものとされても仕方がない。
京都に戻る特急に乗る前に、駅の構内にある売店で、「鶏の肝煮」を少し買って車内で食べた。おそらく安倍さんは、この手のものを好きだったのではないかと推測しながら、関西風の味付けのその肝煮を美味しく食べたのだが、安倍さんがアルコール類をのまなかったことを思い出して、ビールは買わなかった。安倍さんに関して、私の唯一の心残りは、一度でいいから、直接会って話がしたかったということだ。先月、日本保守党を立ち上げた百田尚樹氏は、安倍さんと一緒に温泉に浸かって歓談したという。羨ましい限りである。
森林・林業では、なかなか、安倍元首相とは接点はなかったと思う。直接お目にかかれなかったのは残念至極だったが、これから先、安倍元首相の思いを汲み取って、自分ができることを、どれだけ遂行できるか、この国のために何ができるのか、帰りの電車の中で、それをずっと考えていた。百田氏のように、保守政党を立ち上げるなど、到底無理なこと。微細なことでも、私にやれることをやっていこう、そして、親しい人や仲間にも、そういう気持ちを伝えていこう、大和西大寺駅北口の風景を思い出しながら、そう思っているところだ。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。