井上陽水の名曲である「傘がない」は、彼の2枚めのアルバムの中に収録されている曲で、1972年1月にリリースされた。この曲は、その時代の若者が熱を入れていた学生運動や政治問題、社会問題よりも、目の前にある「彼女に会いに行くことが最も大事」という、いわゆる「ノンポリ」の若者の価値観を曲にした、秀逸なフォークソングだと評価できる。新井将敬という団塊の世代の政治家の愛唱家だったということを、彼の評伝で読んだことがある。
この曲がラジオで流れた頃、私は中学3年生で、この2年前、中学1年の春に、吉田拓郎の影響を受けて、我流でギターを始めた。以来、53年間、ずっとギターの弾き語りを趣味としている。もちろん、井上陽水の傘がないもレパートリーの中に入っている。但し、この曲の歌詞には、中学生の頃から現在まで、共感したことはない。その理由は、自分自身、若い頃、女性を追いかけたことはもちろんあるが、政治や社会問題には、ずっと関心があった。世の中の現象や政治家の言動を是々非々で捉え、未熟者なりに自分の頭で峻別してきたという自負がある。
そうはいいつつ、学生時代は、勉強などろくにせず、クラブ活動(同志社プロレス同盟を創設)とアルバイト、そして、当時の恋人との時間が殆どで、報道記者を志すようになった3回生くらいから、政治や経済などの問題に興味を持つようになった。そして、社会人になり、自身の知的未熟さや人生経験の少なさを実感しながら、給料の大半を本に注ぎ込んで読書に耽溺したり、尊敬する先達に教えを乞うたりするようになる。
以上で、何を言いたいかというと、岸田総理に爆弾のようなものを投げつけた木村某のことである。世の中には、不文律というものがあり、実社会で生きていくには、それなりの手順というものが厳然と存在する。それは、学歴を重ねることではない。一流と云われる大学を出ていても、愚かな人間はたくさんいる。そうではなく、実社会で真面目に働いて、いろいろな人達から叱られたり、教えられたり、自ら学んだりしながら、自分なりの価値観・人生観・社会観といったものを培っていくのだ。
木村某という人間は、24歳という年齢で、親元に厄介になり、定職にもつかず、おそらくはネット社会を彷徨ったのか。そして、何を考えたのか、「参議院議員に立候補する」などと妄想し、24歳では被選挙権がないことを「憲法違反」といって、神戸地裁に個人訴訟を起こしている。彼女がいて、真面目に仕事をしている人間に、そんなことをしようとする発想もないし、くだらないことを夢想している暇もない、そもそも、仕事で体力と気力を使い果たして、休日はぐったりと休んでいるのだ普通だろう。
井上陽水が歌った、「傘がない」で登場する若者も、何らかの仕事に就き、恋人が出来て、結婚し、子供ができる。そうでなくても、社会人として活動していく間に、自分なりの価値観というものが形成され、世の中の現象を、自分なりの視点で捉えるようになっていったのだろう。大事なのは、そういう手順を踏んでいくことなのだ。それをせずに、未熟な頭で、政治や国のあり方を語ろうとすること自体が愚かすぎるし、とどのつまり、一部の愚かな連中のデマゴークに乗せられて、爆弾テロをやってしまうことになったのだと思う。世の中、誰が悪いとか言い募っても何が変わるわけではない。まずは、社会を構成する一員として、きちんと労働し、社会人としての要件を備えた上で、できるところから変えていくべく活動する、その大原則を、私も含めた大人達が、若い世代の人間に、自らの経験を踏まえて教えていく責任があるのだと思っている。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。