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業務の合間の読書にて

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 このところ、毎週のように出張し、その準備や整理のための会議を挟み、仕事モードの日々が続いている。昨年度よりも、その稼働率が上がっていて、これはいい傾向だと嬉しく思っているところだ。そして、その合間の愉しみとなるのが、やはり読書である。直近では、「バブル兄弟」(西﨑伸彦著 文藝春秋刊)を読んだ。「五輪を喰った兄、高橋治之と長銀を潰した弟、高橋治則」というサブタイトルがついている。

 兄、高橋治之氏は、1945年生まれ、弟治則氏は1946年生まれの年子で、私の世代よりもひと世代上、いわゆる団塊の世代よりも少し上の世代である。この兄弟の生い立ちやビジネス界での活動は、同書を読んでいただくとして、私自身は、この二人とは面識がないが、共通の知人がいて、その人物像を仄聞したことがあり、また、電通や不動産業界の関係者からも、その動静について聞いていたこともあり、「スケールの大きなビジネスをやる人たちだ」という印象を持っていた。

 今回、著者の綿密な取材によって、そういうイメージ的なものが、私自身も見聞きした事象と重なり、彼らの足跡がより鮮明にみえたような気がした。まず、弟の高橋治則氏だが、2005年に59歳で逝去しており物故者である。一時期は、その資産額が1兆円、「環太平洋のリゾート王」といわれた、もはや伝説上の人物になっている。ここで思い出すのは、同時期に、やはりゴルフ場や不動産事業等で一世を風靡した、許永中氏(現在は韓国在住)である。

 高橋治則氏と許永中氏は、ほぼ同年齢で、ともに逮捕歴のある「バブル紳士」とされているが、俯瞰する限り、やったことは全く違うと私は考えている。高橋治則氏は、それなりの理想やビジョンを持って、ホテル経営や不動産ビジネスに邁進していき、長銀他の金融機関は、そのビジネスを「金のなる木」とみて、自ら融資に傾斜していったということ。これに対して、許氏は、不動産ビジネスを翳して(やるふりをして)、金融機関等から金を引き出し、それを他のビジネスや自らの事業の資金繰りに費消していったという格好。両者の「ビジネスモデル」は天と地ほどに違っている。

 高橋治則氏は、バブル崩壊後も自らのビジネスの再建に邁進し、ビジネス界における復権を企図して活動を続けていた。私の知己にも、「彼については、いまでも悪い印象は持っていない」という人が複数いる。存命であれば78歳であり、兄の治之氏と陰に陽に連携しながら、まだまだ、そのビジネスを展開していたかもしれない。なにものねだりにはなるが、直接会って、いろいろと話を聴きたかったと思っている。それにしても、59歳での逝去はあまりに早すぎた。

 兄の高橋治之氏については、現時点で存命であり、東京オリンピックにおける疑惑については、目下、係争中とのことだが、私自身の放送局時代の電通での当時の見聞も含めて、また、別の機会に語ってみようと思っている。

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