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懐かしき場所それは東京・銀座

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東京・銀座7丁目の風景(2024年2月8日)

 今から35年前の1989年2月、当時31歳の私は、厚手のコートを羽織って、銀座の街を歩いていたように思う。私が勤務していた近畿放送の東京支社が、銀座8丁目の京都新聞ビル内にあり、営業部に所属していた私は、そこを拠点に、日々、テレビやラジオの営業活動に勤しんでいた。京都の本社勤務から東京支社に転勤になったのが、1985年の10月だった。そして、再び京都に戻ったのが、1991年4月、バブル経済期を挟んで、5年半、私は東京で営業マンとしての日々を送った。ゴルフもその時に、接待用として覚えて、夢中になったのだ。

 報道記者として入社したにも拘わらず、営業に回されたのは、ジャーナリストを目指していた私にとっては、不本意極まりないことだった。新聞社の場合は、報道記者から営業セクションへの異動はまずないが、放送局、特に地方局では、そういう異動もありだった。私の場合は、報道記者として活発に活動していたのが、営業セクションの幹部の目に留まり、「元気な奴がいるので、営業にもってきたらどうか」ということで、異動になったと後から聞いた。志望時からの希望通り、報道記者になり、張り切っていた私にとって、この異動は「晴天の霹靂」だったし、営業マンというだけで、「相手に頭を下げる」というのも、正直嫌だった。

 それでも、電通や博報堂などの広告代理店や大手の広告主を訪問しているうちに、不思議とこの仕事が好きになっていった。時あたかも、バブル経済を迎え、「モノが飛ぶように売れる時代」で、放送局は空前の売上となり、平社員であっても営業経費がそれなりに認められた。その恩恵に浴したのは、3年ほどのわずかな期間であり、派手な豪遊をしたという記憶もないが、それでも、バブル経済の「お裾分け」的なものは確かにあった。何といっても、最も、いい思いをしたのは、10歳程度年長の団塊の世代の連中である。

 今日は、案件の帰り、少しだけ銀座の中央通りや京都新聞ビルがある外堀通りを歩いた。中央通りは、中国人だらけで、日本語よりも中国語が飛び交い、ここはどこの国かと思ってしまうほどだった。銀座の風景もすっかり変わってしまった。考えてみれば、私がここで活動していたのは、もう30年以上前のことなのだ。しかしながら、放送局の営業マンとして、必死になって仕事にまい進していた、あの頃のことは、今でも鮮明に覚えている。放送局にいたのは、わずか13年間だったが、改めて考えてみれば、楽しいことの方が多かったように思う。決して安くない給料をもらいながら、いろいろなことを経験し、学ばせてもらったことには感謝しなければならない。

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