年末年始は、どこにも行かず、蓼科の自宅で過ごした。標高1,300mにある我が家は、冬の寒さが半端ないので、この時期は、暖かい室内にいるのがベストである。先月は鳥取県での研修案件が22日・23日にあり、24日のクリスマスイブに降雪で高速道路が途中で通行止めとなる中、ほうほうの体で帰ってきたが、仕事はそれが年内最後で、25日から早めの年末年始休暇となった。鳥取に行った頃に、蓼科でも積雪となったが、年が明けてからは、殆ど降雪もなく、また、年間で最も寒い時季にも拘わらず、それほど気温も下がらずに、大雪で大変な地域の人たちには申し訳ないが、まず快適に過ごすことができている。この冬は昨年にも増して厳しくなるという大方の予測だったが、1年間で最も冷え込むこの時季に、この程度の寒さであれば、ここに住んでいるのも悪くはないと思ったりする。但し、私はスキーができないので、この時期はどうしても運動不足になりがちだという問題はある。
さて、表題の「日々を慰安が吹き荒れて」というフレーズは、1972年にリリースされた、吉田拓郎の「祭りのあと」という曲の歌詞に出てくるものだ。これを作詞した、岡本おさみ氏(故人)が、吉野弘という詩人の「日々を慰安が」という詩から借用したとのことだ。意味合いとすれば、「日々、心のなかで反省ばかりしている」といったところだろうか。いわゆる「自省の句」だと私は解釈しているが、吉田拓郎の「祭りのあと」は、「70年安保敗北後の時代の空気をうたったもの」とされていて、なかなか味わい深い曲で、拓郎の数ある曲の中でも、私の中では、ベスト5には入る名曲だと思っている。
その吉田拓郎も、昨年で音楽シーンから去っていった。彼は1946年生まれなので今年77歳、私よりも11歳年長である。中学1年の時、ラジオで吉田拓郎の「夏休み」という曲を聴いて感銘を受け、ギターの弾き語りを始める動機となった。以来、弾き語りを間断なく53年間も続けている。彼は、日本のフォークやJPOPというジャンルをメジャーなものにした偉大な先駆者であり、我々の世代のヒーローでもある。私にとっては、アントニオ猪木と並ぶ「偉人」なのだ。
「日々を慰安が吹き荒れて」というフレーズの意味など全くわからずに、当時は拓郎のレコードを何回も聴いて、それをギターで再現することに夢中だった。つい先日、Amazon Musicで、久しぶりにこの曲を聴き、改めて、このフレーズの意味合いをじっくりと考えた。とにかく、反省だらけの日々であり、いつまで経っても、そういう日々から抜け出せない。そして、常に未熟である。自分自身が未熟者だからこそ、この曲が心に染みるのだろうと思ったりする。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。