フォレスト・ミッションBLOG

林業の産業としての自立、そして林業に従事する人たちが誇りを持てるように、私たちは、自らが信じる、森林・林業のあるべき姿を、林業関係者の皆様と一緒に創造していきます。

未分類

A猪木への限りなき憧憬

投稿日:

 プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さんが逝去した。79歳、我々の世代のヒーローであり、その信条である「燃える闘魂」は、若き日の私自身の座右の銘だった。「猪木さんのような生き方をしたい。ずっと闘う姿勢を忘れない」という行動規範は、今でも心の中に刻み込まれている。中学・高校という、もっとも純粋で多感な時期に、アントニオ猪木の試合をテレビで観戦し、その虜になった同世代の人間は限りなく多い。

 私自身は、同志社大学に進学して、当初、野球とか剣道とか、それまでかじっていたスポーツをやろうとしたのだが、2回生の時、思い切って学生プロレスのクラブを創設した。猪木さんは、その当時(1978年頃)、全盛期であり、異種格闘技戦にも進出し、「いつ、どこで、誰とでも闘う」と公言し、そういった「格好良さ」に背中を押されて、学生プロレスのクラブを創設したといっても過言ではない。実際、自分自身も、もっと身長があれば、プロレスラーになりたかったのだ。

 プロレスを真剣勝負ではなく、筋書のあるショーだといって批判する向きがある。事実関係でいえば、その通りだろう。しかしながら、真のプロレスファンの視点は、そんなことではなく、そのプロレスラーが醸し出す「凄み」とか内面に秘める「本気度」とか、プロとしての「プライド」などを、彼らが試合の中で繰り出す技の応酬に見出して、それに魅せられるのだ。プロレスラーが試合の最初に組み合う「ロックアップ」というものがあるが、その際に、相手の力量や強さを測るのだという。大技よりも小技、基本技にこそ、プロレスの本質があるということで、私などは、いまだにロックアップからの応酬に見入ってしまうのだ。

 さて、猪木さんの話に戻る。猪木さんは、24年前、55歳で現役を引退したのだが、その時、私の猪木さんへの憧憬も同時に消えたといって過言ではない。その後、国会議員になったり、新しいプロレス団体を創設したりしたが、私にはそんなことはもうどうでもよかった。猪木さんは、リング上でこそ輝く存在だったのだ。但し、全盛期の猪木さんの雄姿は、自分の心の中にしっかりと残っているし、「燃える闘魂」という金言は、いまでも自分の心の支えになっていることは間違いのないことだ。

 この20年間、ずっと身近な存在だと思っていた安倍晋三氏が暗殺され、この世にいなくなってしまったことは痛恨の極みだった。それとは次元が違うが、アントニオ猪木さんがこの世を去ったということは、自分たちが生きてきた時代の、大きな節目を示すものだった。寄る辺を失ったといえばいいのか、心の支えのようなものが相次いで消えていく中で、残された我々は、自分がこれまで生きてきた中で培ってきた「自分自身の資源」でもって、これからの時代をしたたかに生きていくしかないと思っている。

-未分類

関連記事

やっと今期の案件が完了する

 今期最後の案件の報告書作成に、予想外の時間がかかり、結局、丸1週間、自室に籠もりきりになって仕上げる形になった。おかげで、運動不足気味になり、体重も少し増えた感がある。やり出すまでに時間がかかるが、 …

no image

厳しい冬もあと2週間ほどか

 昨日、東京での案件が終わったのが、午後5時前で、午後6時新宿発のあずさ号に乗り帰路についた。茅野駅を降りると、結構、吹雪となっていて、駐車場に置いていた車にもかなりの雪が積もっていた。その雪を払い、 …

肩の力が抜けた歌声で…

 1973年12月11日リリースというから、この曲が世に出て、丸50年ということになる。小坂明子さんの「あなた」という名曲である。当時、私は16歳で高校1年だった。たしか、ヤマハのポピュラーソングコン …

別荘地における森林整備のあり方、その後の状況

 昨年8月2日に、このページで、現在居住している、信州蓼科の別荘地における森林整備について言及した。当初、原理原則に外れた施業をしていたので、管理会社に対して、エビデンスを示しながら強く抗議をしたとこ …

ギター弾き語り50年の重みとは

 ギターの弾き語りを始めたのは、中学1年の秋だった。その春、和歌山県・那智勝浦町の地元の中学校に入学したばかりの頃、ラジオから流れてきた、吉田拓郎の「夏休み」に衝撃を受け、何故かギターが弾きたくてたま …