フォレスト・ミッションBLOG

林業の産業としての自立、そして林業に従事する人たちが誇りを持てるように、私たちは、自らが信じる、森林・林業のあるべき姿を、林業関係者の皆様と一緒に創造していきます。

未分類

何気なく「神田川」を歌う

投稿日:2025年6月24日 更新日:

 明日から、また、泊まりがけの出張ということで、今夜、その準備をするのだが、夕食を摂った後、以前からやろうと思っていた、愛用のギターの弦の交換を30分くらいでやって、なかなかいい音を奏でる、愛器「マーチンD-45」で、「神田川」を弾き語りで歌った。この曲は、ピッキングでやるよりも、やはり、爪弾きで演奏する方が味が出て、いい感じになる。私の場合は、Emのキーで弾き語りをする。

「神田川」レコードジャケット

 「神田川」は、フォークグループ(南こうせつ・伊勢正三・山田パンダ)「かぐや姫の代表的なヒット曲で、1973年9月のリリース、ラジオで火がつき、大ヒットとなった。当時、私は16歳、和歌山県の新宮高校の一年生だった。吉田拓郎の曲に感化され、中学一年からギターを始めて、神田川も比較的やさしいコード進行だったので、すぐにマスターした。但し、この曲の歌詞で描かれているシーンが当時の私には再現できず、「そういう男女関係があるのかな」というのが、正直なところだった。

 この曲の作詞をしたのは、喜多條忠(まこと)という作詞家で、彼は1947年(昭和22年)生まれの団塊の世代、この曲が世に出た時には26歳、彼が描いたシーンは、早稲田大学在学中、同年代の女学生と同棲していた頃のことだと云われている。喜多條氏は、その後、大学を中退して、フリーの脚本家として活動するのだが、作曲をした南こうせつ氏とは、仕事先の文化放送で知り合ったとのことで、こうせつ氏が詞を書いてほしいと依頼したそうである。

 近畿放送勤務時代から親しくさせていただいている、音楽評論家の富澤一誠さんは、神田川の詞を評して、私にこう言ったことがある。「若かったあの頃 何も怖くなかった ただあなたのやさしさが怖かった」というフレーズは、実に凄いもので、「あのフレーズはなかなか書けるものではない」と。男は結構ぶっきらぼうなのだが、その女性にはやさしいところがあった。しかし、彼女にとっては、その彼のやさしさが、いつかそうでなくなってしまうことが、不安でならなかったと、私なりの解釈をしているが、結局、彼らは別れてしまうことになったようで、その風景は、かぐや姫の次作の「赤ちょうちん」や「おまえのサンダル」等で見事に描かれている。もちろん、両曲とも喜多條忠氏の作詞だ。

 その喜多條忠氏は、4年前の2021年に亡くなった。享年74歳だった。彼と同棲していた女学生は、その後、ある映像制作会社に入社し、役員にまでなったという「伝説」が、私が在籍していた頃の放送業界でまことしやかに語り継がれていた。「神田川」を弾き語りで歌う時、私の脳裏には、さまざまなことが走馬灯のように浮かんでは消える。この曲を初めてラジオで聴いた1973年(昭和48年)から52年の歳月が流れた。この間、数え切れないくらいの出逢いと別離があり、それに伴う喜怒哀楽があった。歌い終えて、しばらく目を閉じていると、さらに多くのモノクロームの想い出のシーンが再現され、まるで数分の短編映画が延々と「上映」されるのだ。

-未分類

関連記事

春雪下の独りゴルフを楽しむ

 午前中は、期末案件の資料を作成し、午後から、自宅から車で1分のところにある「蓼科東急ゴルフコース」に行き、雪がチラつく中、1サムゴルフをしてきた。このコースは、ややこぢんまりとしているが、フェアウェ …

産経新聞にインタビュー記事掲載される

2023年9月2日付 産経新聞三面  昨日の産経新聞朝刊に、私がコメントした記事が掲載されるということで、朝一番に、最寄りの売店に行き、3部ほど買ってきた。スギ花粉「30年後半減」に壁という大きなタイ …

朝来バイオマス発電再稼働へ

 昨年末に、稼働停止になった、兵庫県の朝来バイオマス発電所の新たな運駅先として、大東建託㈱が名乗りをあげた。林政ニュースによると、7月6日に、発電所とチップ工場の事業譲渡契約を締結して、来年度中の再稼 …

久々の大阪の夜にて

 昨夜は、大阪で支援先の会議があり、チーム・フォレストミッションの湯浅勲さんと共に出席した。真に森林・林業で森林整備や管理、木材生産等を実践し、また、木材を活用するプロフェッショナル同士の言葉のやり取 …

植林記念イベントを開催

 今日は、東急リゾートタウン蓼科内の山荘解体跡地の植林施業中現場で、別荘オーナーらが参加して、実際の植林を行う「植林記念イベント」が開催された。主催は、リゾートタウンを管理する、東急リゾーツ&ステイで …