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蓼科移転10年を独りごち祝う

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 東京・日本橋の事務所と横浜市保土ケ谷の自宅を蓼科に移転したのが、2015年10月8日だった。昨日でちょうど丸10年になった。縁もゆかりもない、長野県・蓼科によく来たものだと今でも思うが、「人間万事塞翁が馬」の所以通り、何とかこの地に定着し、足腰を強くしながら生き延びてきたという思いがある。しかし、この10年間には、公私ともに紆余曲折があり、私のような「小舟」は、大波は勿論、さざ波にさえ翻弄される宿命を纏う日々だった。振り返れば、「人の縁」とそれに紐付く僥倖に救われたといって過言ではない。

ドウダンツツジが仄かに色づいてきた頃(10月5日撮影)

 この10年が、長かったのか短かったのか、非常に主観的なところで自問すると、「振り返ってみるとあっという間の10年であるが、個別の事象を拾い出すと、とんでもなく長い期間だった」という自答になる。しかしながら、幸いにして、何とか無事に丸10年を迎えることができたことは、率直に喜ぶべきだと思っている。言ってみれば、この10年間で、自分がさらに充実して生きていくための「基盤整備」が何とか整ったという状況であり、これからの10年間を本当の意味での「収穫期」と位置づけるのがベターなのだろう。

 私にとっての収穫期は、具体的にどういう内容のものを想定するのか、少なくとも、それは自分の会社の売上とか自分自身の収入などに関わるものではない。「林業に関わって金儲けを企図するのは間違いだ」ということを私は常に明言しているし、実際にそう思っている。勿論、現場に関わる林業事業体の皆さんには適正な売上なり利益を挙げて、経営と雇用、何よりも地域の森林(森林組合の場合は組合員)を守っていっていだたくこと、これらが極めて重要だ。私などの支援者は、家族とともに生活ができればそれでいいのだ。

 信州・蓼科での仕事と生活をするための基盤整備は、この10年間で完了したという感がある。そして、その基盤でもって、これから自分自身に残された期間で、思い切りいい仕事を遂行していきたいと思っている。森林・林業の振興に資する取り組みは、すなわち社会貢献そのものである。私は、自身の職業を「社会貢献業」だと位置づけ、それを自らの行動規範に練り込んだ上で、これまでの活動を続けてきた。蓼科に来て10年という節目で、自身の原点を確認し、その思いを強くしているところだ。

 

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