フォレスト・ミッションBLOG

林業の産業としての自立、そして林業に従事する人たちが誇りを持てるように、私たちは、自らが信じる、森林・林業のあるべき姿を、林業関係者の皆様と一緒に創造していきます。

未分類

今年最後の降雪になるのか・・・

投稿日:2025年3月19日 更新日:

 昨夜から雪が降り出し、朝、起きたら、写真のように一面の雪景色だった。まさに「なごり雪」となるのか、予報では、今日午後2時頃には雪がやみ、明日からは、好天が続く見込みで、蓼科では、長く厳しかった冬がやっと去り、飛び石連休あたりから、待望の春が到来する時季になる見込みだ。今朝は、午前5時頃に目が覚めて、その際、サラサラと雪が舞い落ちる音がかすかに聞こえたので、you tubeの動画で、「サボテンの花」(チューリップ)と「雪が降る」(アダモ)、「外は白い雪の夜」(吉田拓郎)そして、「なごり雪」(イルカ)など、雪や冬をモチーフにした名曲の数々を、ベッドの中で聴いた。

今朝の自宅前の様子、この冬最後の雪景色となるのか

 今月は、卒業や人事異動などがあり、人と物の動きが激しい時期である。諸物価が上がり、引っ越しの費用も高騰しているようで、時期をずらして引っ越しをする人も多いという。あるいは、その費用がもったいないので、トラックを借りて、自分や家族、友人らで引っ越しの作業をする人もいるようだ。そういえば、私自身は、これまで、おそらく25回くらい引っ越しをしていて、その意味では、引っ越しの「ベテラン」であり、自慢にもならないが、いわゆる「引っ越し貧乏」の権化でもある。

 朝から、人事異動で動く人や、新天地に向かう人など、いろいろな人からメールが入り、別れのシーズンなのだということを再認識している。4月になれば、また、新たに出会う人もいて、そういう営みが続いてゆく。「出会いは別れの始まりであるし、別れは出会いの始まりだ」という「定理」を心に留めながら、これからも、人の流れの中で、我々は人生を前に進めていくのだと思っている。

 吉田拓郎が歌った「外は白い雪の夜」という曲のサビの部分に、「傷つけ合って生きるより、慰め合って別れよう」という秀逸なフレーズがある。また、私のオリジナル曲、「ふたりの分水嶺」という曲では、やはりサビの部分で「憎しみあうより、労り合って、辿り着いた分水嶺、ともに過ごした日々は、永遠にきれいな思い出に換えてゆこう」というフレーズを入れている。時間は、人間の都合を俟たず、どんどん先に進んでゆく。太古の昔、鴨長明が「方丈記」の中で詠んだ通りである。いろいろなことがあるが、出会いと別れの人の流れの中で、自分らしく「淡々とそしてしみじみと」生きていければいいと、この冬最後の積雪をみながら、つくづくそう思っている。

-未分類

関連記事

ギター弾き語り50年の重みとは

 ギターの弾き語りを始めたのは、中学1年の秋だった。その春、和歌山県・那智勝浦町の地元の中学校に入学したばかりの頃、ラジオから流れてきた、吉田拓郎の「夏休み」に衝撃を受け、何故かギターが弾きたくてたま …

新会社fewt地元財産区との森林整備事業が始動

 昨日は、私が居住する東急リゾートタウン蓼科に隣接する、北山湯川財産区と、株式会社fewtの長期施業受委託契約の調印式だった。自宅から車で5分ほどのところにある、湯川公民館の会議室で北山湯川財産区の総 …

祖父が遺してくれた金言

 私の父方の祖父は、生涯教育者だった。慈愛の教育を説いたペスタロッチを敬愛し、「鉄拳なき教育」を貫いた偉大な教育者だった。苦学して広島高等師範学校を卒業し、大東亜戦争中は、大政翼賛会の和歌山県事務局長 …

A猪木への限りなき憧憬

 プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さんが逝去した。79歳、我々の世代のヒーローであり、その信条である「燃える闘魂」は、若き日の私自身の座右の銘だった。「猪木さんのような生き方をしたい。ずっと …

懐かしき場所それは東京・銀座

東京・銀座7丁目の風景(2024年2月8日)  今から35年前の1989年2月、当時31歳の私は、厚手のコートを羽織って、銀座の街を歩いていたように思う。私が勤務していた近畿放送の東京支社が、銀座8丁 …