反捕鯨団体「シーシェパード」の創設者で、我が国が国際手配していた、ポール・ワトソン容疑者(73)が、デンマーク領グリーンランドで逮捕された。ウキペディアによると、この男は、カナダ生まれで、元々、航海士をしていたが、核実験の反対運動に参加、その後、環境団体「グリーンピース」の初期メンバーとなり、1977年に反捕鯨団体のシーシェパードを設立して、捕鯨船の操業妨害などを繰り返している。2010年6月には、海上保安庁の調査捕鯨を妨害したとして、我が国は、国際刑事警察機構に国際手配していた。
我が国は、2019年に国際捕鯨委員会(IWC)を脱退し、商業捕鯨を再開しているが、それまでは、IWCが規定する範囲内での調査捕鯨を実施していた。身近なところ、かつ記憶に新しいところでは、2009年に公開された「ザ・コーヴ」という、和歌山県・太地町のイルカ追い込み漁を批判的に描いた、アカデミー賞受賞の映画を奇貨にして、シーシェパードなどの反捕鯨団体の活動家が大挙して太地町に殴り込み、示威行為をやったり、捕鯨関係者らに執拗な嫌がらせをした事件である。太地町は、私の故郷である那智勝浦町の隣にある人口2,800人程度の静かな街であり、この一件が全国ニュースとなったことで、太地町は一躍有名になった。
酷かったのが、活動家の外国人が、夜陰に紛れ、鯨やイルカ(厳密には、体長4m以内のクジラをイルカと呼んでいる)を生け捕りにしている網を勝手に切った事象である。何の権利があってそういうことができるのか、業務妨害という明らかな犯罪であり、この外人は犯罪者そのものである。このイルカ漁については、和歌山県庁の農林水産部が公式見解を発表していて、太地町の捕鯨の正当性や狼藉外人の不法行為などについて明確な見解を公表している。シーシェパードについては、その後も太地町に対して嫌がらせを続けたが、資金が続かなくなり2017年頃に撤退宣言をしたということだ。
太地町の捕鯨は、慶長年間から営まれており、その歴史は400年以上に及ぶ。アメリカ建国(1776年)よりも遙か前である。太地町の人々は、そんな昔から捕鯨や鯨の加工など、鯨関連の仕事で生計を立ててきた。私自身も、小学校の給食で出される、太地町で獲れた鯨の竜田揚げが大好きだった。当時は、肉といえば、鯨肉のことを指し、牛肉などは高級品で庶民には手の届かない食材だった。ついでにいうと、私の大好物は、缶詰の鯨の大和煮である。これは、れっきとした食文化であり、写真に写っているような白髭の男に何ら揶揄される謂れはない。旨いものは旨いし、私には私なりの鯨料理への「思想・哲学」がある。
ポール・ワトソン容疑者が、デンマーク警察から日本の警察に引き渡されるかどうか、フランス政府が反対、ブリジット・バルドー等の有名人も嘆願運動をしているとのことで不透明な状況になっている。仮に、我が国の司直に引き渡されても微罪であり、すぐに仮釈放になるのだろう。そんなことよりも、この男には、金輪際、我が国を含めた捕鯨等に関われないように、入国や活動禁止の引導を渡してもらいたいと思う。環境保護などを言い募り、マッチポンプのようなことをしながら、結局は公金を掠め取るような連中も同じである。こんな輩は、真面目に働き、懸命に生きようとする現実社会の人々にとって害悪でしかない。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。