春分の日が過ぎたというのに、蓼科ではまだ雪が降っている。これを「名残の雪」というのか、しかし、今年は3月に入ってからの降雪が多く、例年とは違う様相を呈している。なごり雪といえば、伊勢正三が作詞作曲した「なごり雪」という名曲がある。この曲は、かぐや姫のサードアルバムである「三階建ての詩」(1974年リリース)に収録されているもので、その後、イルカが1975年にシングルで歌って大ヒットした。伊勢正三のオリジナルでイルカが歌った曲としては、「あの頃の僕は」(1974年…デビュー曲)、雨の物語(1977年)、海岸通(1979年)があるが、個人的には、「あの頃の僕は」が気に入っている。
「あの頃の僕は若すぎて きみの気まぐれを許せなかった」というフレーズで始まる曲で、若い男女の「宿命的な別れ」を切々とした言葉で表現している。伊勢正三がこの曲を創ったのが1973年として、彼が21歳か22歳の時だから、こんな詩を書くことができるというのは、まさに才能としかいいようがない。なごり雪も同時期の曲であり、これも、男女の別れをテーマにしたもので、「今春がきてきみは綺麗になった」というフレーズは、別れる相手に対する最大の餞であり、また、さよならに換わる言葉だといえる。
「あの頃の僕は」や「なごり雪」そして、伊勢正三の永遠の名曲である「22歳の別れ」などが、世に出た頃、私は和歌山県の片田舎で高校時代を過ごしていた。同級生に恋をして失恋し、ラジオなどで別れの曲を聴いて、その傷を癒していた。失恋の傷みを別れの曲で癒すというのは、逆説的ではあるが、当時の若者としては定番行動だった。とことん落ち込んで、悲しみが底までいったら、その後は立ち直っていくという考え方だったと思う。
あれから50年の歳月が流れ、私は66歳に、イルカは73歳、伊勢正三は72歳になった。彼らは、いまだ現役のシンガーとして活躍している。50年以上、一つのことを続けるというのは、素晴らしいとしかいいようがない。私も、ギターの弾き語りを中学1年の春から54年間続けているが、これは趣味の範囲であり、これを職業として続けるのは並大抵のことではない。まして、正やん(伊勢正三の愛称)のように、名曲と呼ばれるものをいくつもこの世に残したアーティストは、偉大としかいいようがない。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。