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森林環境税は悪税ではないはず

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 令和6年度から、森林環境税が施行される。 個人住民税均等割に、1,000円(年間)上乗せして、 地方税として約620億円集め、それを、森林面積・人口・林業従事者数に応じて按分し、全国の市町村に配分するというものである。震災の復興税が令和5年度で期限切れとなるタイミングで、それを森林環境税に切り替える形になっている。3年前からは、これに先行して、森林環境譲与税という名目で、総額で約840億円が交付されてきた。

 この森林環境税の導入を控えて、これを批判、あるいは反対する声が出てきている。何しろタイミングが悪い。岸田内閣の増税トレンドの中で、それらと十把一絡げに扱われ、新聞・テレビなどの大手(オールド)メディアが表層的な批判をして、物価高に苦しむ国民からも目の敵にされる懸念を私は持っている。私自身も、一国民であり、森林環境税を徴収される当事者である。林業関係者という立ち位置と一国民という立場の両軸でこの新税をみていかなければならない。

 まず、一国民としての視点である。東日本大震災等に伴う復興税であれば、同じ国民が被災し苦しんでいるところに、少しでも役立つお金であれば、また、年間1,000円程度であれば、誰も文句は言わない。但し、その使途や効果には、厳密な精査が必要であり、それらを国民に開示すべきだろう。それはそれとして、森林環境税の場合は、「市町村においては、間伐や人材育成・担い手の確保、木材利用の促進や普及啓発等の森林整備及びその促進に関する費用に充て、都道府県においては、森林整備を実施する市町村の支援等に関する費用に充てられるものとする」(令和5年度林業白より)と定義されている。

 試行期間ともいえる、森林環境譲与税が交付された3年間での問題点は、森林整備が遅れ、貴重な森林が荒れているという緊急性の高い施策にも拘わらず、3年間で交付された約840億円のうち、445億円しか活用されず、残りの47%は、基金化(使われずに眠っている)されているという実態である。譲与税の段階では、試行期間でもあり、それでいいのかもしれないが、森林環境税導入後もそんな事態が続くと、国民からは、「遣わないのであれば返せ」ということになる。500円でも返ってきたら、その分、食材が買えるし牛丼とみそ汁代にはなる。

 林業関係者としての目線になると、上記の定義で、間伐等の森林整備の前提となる、境界明確化や路網整備などの基盤整備、また、喫緊の課題である労働力の確保や人材育成等に、この森林環境税が充てられることに大きな意義を持つもの。但し、市町村が譲与税を使い余して、基金化しているのは、市町村に専門の林務職員が殆どいないこと、森林所有者の意向調査が先行したが、これに時間がかかっており、基盤整備のところまで到達していない市町村が多いことなど、勘案すべき事情がある。

 林業関係者として、苦しいのは、殆どの都道府県で導入されている、森林税や水源税、環境税などの県民税との兼ね合いである。これも、県民1人あたり500円とか800円とか徴収しているのだが、やはり遣い切れていない実態があって、その実態の上に、さらに似たような森林環境税を「屋上屋を架す」のかというところだ。

 私自身の見解をいうと、森林環境税は、国民資産ともいえる森林(特に人工林)を適正に整備して、活用し、また守っていくために必要不可欠な財源であるということがまず前提。その上で、1,000円を負担する国民の森林の価値や役割、森林整備の必要性、林業の実情などについての基本的な理解が必要条件になる。これは、言うは易しで、実際に税を負担する6,000万人を超える国民に理解をしてもらうことは、並大抵のことではない。

 それと、メディアなどの批判に対しては、森林環境税を公明正大、適正に活用して、その主旨に沿った遣い方をしているという原則を厳格に遵守していくことである。総額620億円という金額は極めて大きいものである。特に、人口の多い都市部には、森林面積や林業従事者は少なくても、人口が多いというだけで、相当な金額が交付される。大阪市や横浜市などはその典型である。林業関係の人材が手薄な市町村も合わせ、そういうところに、「金儲け目当ての」業者が入り込んで、税の使途を拡大解釈したような形で、あるいは「ぼったくり」で、貴重な資金を攫っていく可能性もある。これは断じて許してはならない。批判的なメディアの思うつぼになる。

 私自身は、森林・林業に関わってから20年間、全国各地に赴き、行政機関を含めた林業関係者の人たちと交流し、森林や森林整備の実態をつぶさにみてきた。そして、自分もその活動で糧を得て、今日まで生きてこれた。今月で66歳になるが、これからの活動は、その経験やノウハウ・知識、若干の知名度を活かしながら、森林の価値、重要さというものを、国民の人たちに遍く理解してもらうところに注力すべきだと思っている。これは、長年、お世話になった森林・林業に対する恩返しであり、自分自身の最後の使命だとも位置付けているところだ。

 

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