和歌山県・那智勝浦町の実家に5日ほど滞在した。もうすぐ93歳になる母が独りで暮らしていて、滞在中は、出来るだけ世話をかけないようにして、家事などを手伝ったりしている。この町は、漁業や観光が最盛期の時期には、人口が2万3千人くらいいたのだが、現在は、1万4137人、世帯数が6,795世帯となっていて、高齢化も加速しており、町勢の衰退が顕著だ。それに、現在、大阪から三重県境の新宮までが繋がる自動車専用道路の工事が進んでおり、4年程度かかるとみられているが、それが開通すると、経済的にはもっと衰退する懸念がある。
幸いにして、我が実家は、国道42号線沿いにあり、近年、スーパーやコンビニ、信用金庫、町立病院などが立ち並び、高齢者でも歩いて買い物や病院に行ける環境となっていて、その点は安心である。しかしながら、日々の生活に車は必須で、運転ができない高齢者などに対するサポートは所与のものとなっている。私自身は、高校生までこの町で過ごし、その後は、京都や大阪、神戸、東京、横浜など、都会にいたので、この町については、時々、実家に戻ってきた際に、その様子をみるだけだった。要は、高校時代の佇まいのまま、時間がだけが過ぎていったのだ。
寂れた故郷をまのあたりにして、いい気分でいられるわけなどない。活気があった昔を懐かしむよりも、この町で暮らす人たちが、安心して幸せでいてほしいと願うばかりで、かといって、自分自身が故郷に対して、具体的に何か貢献できるわけではない。この町を出ていった人間には、故郷などもう存在しないという「諦観」を漂わせつつ、それでも、せっかくの滞在ということで、食材の買い出しに出かけたり、ちょっと街中(まちなか)を散策したりする。昨日は、中学生の時に、ギターを買うために、キャディのアルバイトをしたゴルフ場に行き、独りでラウンドしてきた。この町には、ゴルフ場が2つあって、周辺の市町村では、稀有な地域となっている。
さまざまな想いを残して、今日、明日仕事がある岐阜に向けて出発する。次はいつ来ようか。その時、母はまだ何とかやっているだろうか。時間は人間の都合を待ってはくれない。暦はどんどん前に移ろって往く。「ふるさとは遠きにありて思ふものふ そして悲しくうたふもの」と室生犀星は詠んだ。故郷にはもう居場所はないという意味合いだと文脈から解釈できる。実家という物理的な場所は確かに存在しても、精神的な故郷はもう存在しないのだと自分自身と対話する時、そこにはやはり「諦観」のようなものがついてまわるのだ。そして、仕事面では、「日本全国が、自分の仕事の領域だ」と自分に言い聞かせ、しかしながら、真の故郷はもう存在しないと思ったりする。実に寂寥たる気持ちになるのだが、それも長年生きてきた果ての宿命だと割り切ったりする、人生の一部なのだと。
このところ、コロナ禍も一定収まってきたこともあり、仕事の依頼が徐々に増えてきている。新しい事業にもチャレンジすることになり、その準備も進んでいる。悲観的になりがちな自分自身を鼓舞してくれる人がいて、また、実態があり、そこで励まされながら、また、前を向いて頑張ろうという気持ちになる。故郷は永遠であってほしいし、機会をみつけてまた来ようと思っている。そして、ここで「素になる」時間が、実は極めて貴重なのだと改めて実感している。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。