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「秋の気配」が流れる頃

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 このところ、このブログで重苦しいテーマの内容が続いているので、今日は少し、気持ちが軽くなりそうな話題にしたいと思う。私の趣味は、大したものではないが、出張の合間に近くのゴルフ場でラウンドをすることと、自室でギターの弾き語りをすることの2つである。ゴルフの腕はアベレージレベルで、ハンディはオフィシャルで10だが、ギターの弾き語りは、中学1年の時からずっとやっていて、そのレベルはかなりのものだと自負している。

愛用のギター(マーチンD-45)

 「秋の気配」(1977年)は、「あれが、あなたの好きな場所・・・」で始まる、オフコース(小田和正)の不朽の名曲である。ギターのイントロがまた素晴らしい。私自身の中で、邦楽のポップスではベスト3に入る曲だと思っている。この曲をほぼ完全にマスターして、フルコーラスで弾き語りをする。9月中旬頃から10月初旬にかけての3週間ばかりの期間が、この曲が1年間で最も旬になる時季だ。不思議なことに、この曲のフレーズには、「秋」というキーワードは一度も出てこない。秋の気配ということで、それがすなわち男女の別れの気配を示唆していると私は解釈している。

 別れを意識しているのに、自分からは切り出さない。あわよくば、女からそれを言わせようとしている、そんな男の身勝手な気持ちがよく描写されている歌詞だと思う。小田和正流の何ともいえない表現方法であり、この曲を初めて聴いた大学生の頃、京都からほど近い大津の小高い丘で、当時付き合っていた彼女と並んで大津の町並みを見下ろしながら、この曲のサビのフレーズを頭の中でリフレインしていたことを想い出す。

 あれから40年以上の歳月が流れた今、改めて、この曲を弾き語りで歌うと、この40年余りの出来事が、走馬灯のように脳裏をグルグルと回り、断片的にしろ、その場その場のシーンがフラッシュバックしたり、あるシーンや人物にズームインしたりする。あの頃、私は3歳年下の妹と京都の狭いアパートで生活し、大学に通っていた。その妹は、昨年4月、57歳でその短い一生を終え、会いたくても会えなくなってしまった。この40年間で最も悲しい出来事だった。

 あの頃、付き合っていた彼女は、今頃、どうしているのだろうか。私の未熟さゆえに傷つけてしまったこと、結婚しても幸せにしてあげられなかったこと、「秋の気配」という曲が想起させるものはたくさんある。私にとって、この季節は、気候的には1年間で最も好きな季間だが、同時に、辛く哀しい想い出に満ちた季節でもある。もしかすると、「秋の気配」を弾き語るという行為は、ある意味、私自身の「懺悔」の儀式的な行為なのかもしれない。

 今日は、森林・林業とは、全く関係のない、私の趣味のことを書いた。たまには、それもいいと思っている。特に、自分が好きな「名曲」とする曲には、いろいろな想い出が付随している。過去に戻ることはできないが、過去の事象から学んだり、気づくことはたくさんある。もちろん、後悔と反省が最も多いことは言うまでもない。罪深い人間だが、そんな私でも、頼りにしてくれるマーケットがあり、支持してくれる人たちがいる。有り難いことだとつくづく思う。

 秋の気配を弾き語りで歌う時季は、もうすぐ終わる。例年、その頃から、下期の事業が始まり、地道な活動ながらも、私は全国のあちこちに出張して、精一杯の支援や助言をする。過去と現在、そして未来は常に連なり、自分自身は常に前を向いて、自分が進むべき道を真っ直ぐに進んでいくしかないと思っている。

 

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