昨日、郵便局まで行ったついでに、自宅から車で5分ほどのところにある、蓼科高原CCに立ち寄った。今は、冬季休業中だが、コースをみると、雪がなく、少し寒いが、すぐにでもプレーができそうなコンディションである。プレーができないのであれば、コース内を歩くだけでもいい運動になるので、そういう利用の仕方ができないのかとも思うが、まず、そういうニーズがないだろう。
冬場は、とにかく運動不足になりがちなので、この時季は、別荘地内をひたすら歩くことにしていて、昨日も、今朝も、暖かい格好で散策した。今朝などはかなり冷え込んで(マイナス7度くらい)、顔が冷たくなってしまった。よく考えると、昨日20日は大寒、一年間で最も寒いといわれる。確かに、昨夜から今朝にかけて、体感で結構寒さを感じた。就寝の際の防寒は、専ら電気毛布をフル活用している。昨年、電磁波99%カットの電気毛布を購入し、夜はそれで寒さを凌いでいる。この電気毛布はかなりの優れもので、おかげで、この冬は、体調を崩すこともなく、最も要注意の大寒まで何とか凌いでこれている。
蓼科に転居したのは、7年余り前の2015年10月だった。その時、私は58歳で、都会を離れるには、かなり早いと思ったものだ。それから7年経って65歳になり、それなりの年齢になってくると、こういう生活がちょうどいいと思えるから不思議なものである。そんな生活に対して、不満などなく、むしろ、心地よさをおぼえる方が多いので、「結果的に、早めに移住して良かった」と思えたりする。それに、ネット環境が良好なので、仕事をするにも、生活をするにも不便はなく、実際の買い物でも車で20分も走れば、品揃えのいいスーパーが複数ある。
それでも、暖かいところで育った人間としては、この寒さは堪えるので、寒い時季は、暖かいところで過ごしたいという願望があって、今年もそれを実現しようとしたのだが、いろいろと事情があり結局は諦め、例年通りここで生活をしている。ただ、コロナ禍の3年間でつくづく思ったのは、この生活環境はとても有り難く、文句を言ったら罰があたるということだ。それに、仕事も最低限ではあるが、オンラインで遂行できるようになったので、この生活環境はむしろ、ベターだと思わなければならない。
「冬きたりなば 春遠からじ」( If winter comes,can spring be far behind)という言葉は、イギリスの詩人、パーシー・ビッシ・シェリー(1792~1822)の詩の一節だということだ。「我慢していれば、そのうちいいこともある」という例えによく使われるフレーズだが、蓼科での生活においては、「厳しい冬があってこその涼しく快適な夏」ということを身に沁みて実感している。真夏でも30度を超えることは殆どなく、湿度が低いのでクーラーのない生活を満喫することができる。その代わり、冬がことさら寒いということになる。その真冬の生活の中に、楽しみを見出して、むしろ、そこに充実感をおぼえていくということが大事なのだろうと思ったりする。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。