フォレスト・ミッションBLOG

林業の産業としての自立、そして林業に従事する人たちが誇りを持てるように、私たちは、自らが信じる、森林・林業のあるべき姿を、林業関係者の皆様と一緒に創造していきます。

未分類

雪のない大寒、やはり寒い

投稿日:

ホームコース(蓼科高原CC)も積雪なしで… 2023年1月20日撮影

 昨日、郵便局まで行ったついでに、自宅から車で5分ほどのところにある、蓼科高原CCに立ち寄った。今は、冬季休業中だが、コースをみると、雪がなく、少し寒いが、すぐにでもプレーができそうなコンディションである。プレーができないのであれば、コース内を歩くだけでもいい運動になるので、そういう利用の仕方ができないのかとも思うが、まず、そういうニーズがないだろう。

 冬場は、とにかく運動不足になりがちなので、この時季は、別荘地内をひたすら歩くことにしていて、昨日も、今朝も、暖かい格好で散策した。今朝などはかなり冷え込んで(マイナス7度くらい)、顔が冷たくなってしまった。よく考えると、昨日20日は大寒、一年間で最も寒いといわれる。確かに、昨夜から今朝にかけて、体感で結構寒さを感じた。就寝の際の防寒は、専ら電気毛布をフル活用している。昨年、電磁波99%カットの電気毛布を購入し、夜はそれで寒さを凌いでいる。この電気毛布はかなりの優れもので、おかげで、この冬は、体調を崩すこともなく、最も要注意の大寒まで何とか凌いでこれている。

 蓼科に転居したのは、7年余り前の2015年10月だった。その時、私は58歳で、都会を離れるには、かなり早いと思ったものだ。それから7年経って65歳になり、それなりの年齢になってくると、こういう生活がちょうどいいと思えるから不思議なものである。そんな生活に対して、不満などなく、むしろ、心地よさをおぼえる方が多いので、「結果的に、早めに移住して良かった」と思えたりする。それに、ネット環境が良好なので、仕事をするにも、生活をするにも不便はなく、実際の買い物でも車で20分も走れば、品揃えのいいスーパーが複数ある。

 それでも、暖かいところで育った人間としては、この寒さは堪えるので、寒い時季は、暖かいところで過ごしたいという願望があって、今年もそれを実現しようとしたのだが、いろいろと事情があり結局は諦め、例年通りここで生活をしている。ただ、コロナ禍の3年間でつくづく思ったのは、この生活環境はとても有り難く、文句を言ったら罰があたるということだ。それに、仕事も最低限ではあるが、オンラインで遂行できるようになったので、この生活環境はむしろ、ベターだと思わなければならない。

 「冬きたりなば 春遠からじ」( If winter comes,can spring be far behind)という言葉は、イギリスの詩人、パーシー・ビッシ・シェリー(1792~1822)の詩の一節だということだ。「我慢していれば、そのうちいいこともある」という例えによく使われるフレーズだが、蓼科での生活においては、「厳しい冬があってこその涼しく快適な夏」ということを身に沁みて実感している。真夏でも30度を超えることは殆どなく、湿度が低いのでクーラーのない生活を満喫することができる。その代わり、冬がことさら寒いということになる。その真冬の生活の中に、楽しみを見出して、むしろ、そこに充実感をおぼえていくということが大事なのだろうと思ったりする。

 

 

-未分類

関連記事

久しぶりに日吉町森組を訪問

 昨日・今日と、関西で活動し、今日は2年半ぶりに、京都・南丹市の日吉町森林組合を訪問し、湯浅勲組合長と再会し、いろいろと語り合った。最近、完了した搬出間伐の現場も案内していただいた。湯浅さんとは、今か …

期末案件完了し、しばし余暇へ

 今日は、提出期限間近の原稿を仕上げたり、苦手な事務仕事をしたりで、あっという間に一日が過ぎた。昔、小椋佳と井上陽水が歌った「白い一日」のような感じで、「僕の一日が過ぎていく」のだが、気がつけば、奈良 …

この1ヶ月間のいろいろな事象についての雑感について その1 「LBGT理解増進法の成立」

 先月下旬に、少し体調を崩して、しばらく静養していた。その間、自室で本を読んだり、you tubeの動画をみたり、映画を観たりして過ごした。こういう時間は、とても貴重で、定点で世の中の事象や自分自身の …

安倍元首相暗殺事件、文春砲始まる

 昨年7月8日に起こった、安倍元首相の暗殺事件について、その後、大手メディアが沈黙を続ける中、週刊文春の2月16日号が、特集を組んだとのことで、早速コンビニに行き、貪るように読んだ。「疑惑の銃弾」と銘 …

祖父が遺してくれた金言

 私の父方の祖父は、生涯教育者だった。慈愛の教育を説いたペスタロッチを敬愛し、「鉄拳なき教育」を貫いた偉大な教育者だった。苦学して広島高等師範学校を卒業し、大東亜戦争中は、大政翼賛会の和歌山県事務局長 …