先週、出張先のホテルで、映画「逃亡者」をfireで観た。1993年の公開で、主演は、名優のハリソン・フォード、共演で連邦保安官補役が、トミー・リー・ジョーンズである。ハリソン・フォードが51歳の時、俳優としてまさに油の乗り切った時期に主演した名作といえる。この映画のベースとなっているは、1963年にテレビで放送された連続ドラマの「逃亡者」で、映画でリメイクしたのが、この作品だといわれているが、旧作の連続ドラマが、日本では1964年から65年にかけてTBS系列で放送され、私は、朝日放送で、小学生の時に白黒テレビでこれを観た記憶がある。「ハラハラドキドキ」の展開を、朧気なら今でも覚えている。

さて、ハリソン・フォード演じる、リチャード・キンブルは、優秀な外科医であるが、身近な人間の奸計によって、妻殺しの濡れ衣を着せられ、死刑判決を受ける。しかし、護送中のバスが予期せぬ事故を起こした際に、脱走し、そこから、自らの冤罪を晴らすべく、トミー・リー・ジョーンズ扮する連邦保安官らの執拗な追跡を躱しながら、最後は所期の目的を果たす。「勧善懲悪」の側面もあるが、一人の人間としての尊厳や誇りを失わず、自らの信念に基づいて決然たる行動をするというところに、一種の「ダンディズム」をおぼえるのは、私だけではないだろう。
一方、リチャード・キンブルを追う、連邦保安官補のジェラードは、FBIの敏腕捜査官として、キンブルを追いつつも、併行してこの事件の真実を追求し、真犯人を突き止める。そして、無罪のキンブルに対して、最後は友情さえ垣間見せる言葉をかけ気遣いをみせる。その過程で、地元の警察とは、数々の摩擦や齟齬を引き起こすことになるが、このジェラード氏も、自らの捜査勘と信念に基づいて、キンブルを追い詰めつつも、事件の解決に正面から向き合う。そういった、誇りと誇りのぶつかり合いが、この映画の見所の一つでもあると思っている。
それから、この映画の中では、いくつかの格闘シーンがあるが、ハリソン・フォードは、身長が185センチあったということで、相手にタックルをしたり、パンチを浴びせたりするところなどは、なかなか迫力がある。一応、格闘技の経験がある私からみると、彼のタックルは、アメフト流であり、パンチはボクサーのものではなく、むしろ、プロレスラーの放つナックルパンチに似ている。いずれにせよ、医者にしては、喧嘩の強い、「怒らせると危険なオッサン」であることは論を俟たず、そのあたりも、何となく共感するところがあるのだ。
自らの冤罪を晴らすべく、また、亡き妻の仇討ちをするため、リチャード・キンブルは、危険を顧みず、その信念のもとに行動する。誰にも頼らずに、ミッション・インポッシブルとも思える問題解決に果敢に挑んでいく姿は、複雑怪奇な現代に生きる我々にとっても大いに励みになる。つまり、「自分と自分が大事にする人たちを自分自身で守っていく」ということで、示唆に富み、また、その勇気を与えてくれる、やはり名作であると私はこの映画を高く評価している。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで470超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。