森林組合の経営診断などで、組合員のヒアリングをすることが多いが、そもそも、そういうところに出てくる人は、まだ、森林に対して関心を持っている方である。父親が植林をしたとか、自分自身も若い頃は、下刈りとか除伐などを手伝ったとか、時々、自分の持山を見に行くとか、そういう人が多い。この人たちは、森林への関心は低下しているものの、無関心層ではない。
私自身の経験値では、そういう森林所有者が1割程度で、9割は無関心層である。そして、1割程度のまだ関心のある層の高齢化は甚だしく、次の世代の殆どの人には、森林などには何の関心もない。関心があるとすれば、その森林がもたらすかもしれない「お金」だけである。そのお金もろくに戻ってこないとわかると、もう「放っておいてくれ」ということになる。そこには、「森林経営管理法」で規定された「所有者の責任」などという意識は全く存在しない。
人工林は、元々、「お金を儲けるために植林した」投資行為の森林である。いろいろな要因があるにせよ、結果的に「儲けにならなかった」のだから、過去の投資行為は失敗だったとして、それを放棄する。ビジネスの世界では当たり前のことだ。しかしながら、森林の多面的機能とか環境保全とか、そういう側面が前面に出てくると、そういうビジネス的な視点ではない価値基準や行動基準がスタンダードになってくる。
少なくとも、自分の代に、あるいは自らスギやヒノキを植林した世代の人たちには、自らの意思でやったのだから、原則として、その責任を全うしてもらう必要があると思う。しかしながら、親や祖父の世代が植林して、それを相続する立場の後継世代の人は、植林や育林に対して何の意思も入っていないのだから、所有者の責任を言われても、「自分には関係がない。関与していない」というのが本音のところだろう。
そういう層が所有する森林(殆どが放置林でかなり荒れている)を救って再生あるいは管理していこうというのが、森林環境譲与税による「新たな森林管理システム」である。その主体になる市町村は、現状で「様子見」をしているところが多いが、そうしている間にも、森林所有者の無関心化・山離れは加速をつけて進み、かろうじて関心を持っている1割以下の所有者も高齢化等で、そこから離脱していくだろう。様子見をしている時間はないのではないか。
では、どうすれば、そういう森林、人工林を救えるのか。公的管理だけに委ねておいていいのだろうか。それは、私も含めた林業関係者にとっての重大な課題であり、我々はそこから逃げるわけにはいかない。100年の計をもって、荒廃してしまった、あるいは荒廃しつつある人工林を、できるところは再生、無理なところは、その地形や地位に適合した森林に誘導していかなければならない。但し、森林所有者の無関心化は進む一方なので、これにブレーキをかけて、願わくば関心を持ち直してもらうような取り組みも、行政を含めた林業関係者のミッションだと思っている。
株式会社フォレスト・ミッション 代表取締役、林業経営コンサルタント、経済産業大臣登録・中小企業診断士
我が国における林業経営コンサルティングを構築した第一人者であり、これまで460超の林業事業体の経営コンサルティングに携わる。2015年から、活動拠点を東京から信州・蓼科に移して活動中。